ベトナム② – 北部サパでのトレッキング、ホームステイ

旅の記録

ハノイの喧騒から逃れるため、俺たちは北部のサパ行きの夜行バスのチケットを手にれた。
シンガポールの予約サイト12GOで予約した。
価格は驚くほど手軽で1,000円くらい。
12GOはベトナムをはじめ、タイやラオスなど東南アジアでのバスや鉄道の予約に使える。
日本語にも対応しているし、クレジットカードで決済できるので現地のチケット売り場で手こずる手間が省ける。

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ベトナムの長距離バスには、いくつかの座席タイプがある。
日本でもお馴染みの普通の座席タイプ、二段ベッドのようなスリーパータイプ、そしてカーテンで仕切られたほぼ個室のVIPタイプ。

サパ行きのバスはベーシックなスリーパータイプで3列シート。カーテンはないものの、横に人がいない分比較的ゆっくりと眠ることができる。

22時バスはハノイを出発した。そして予定より2時間遅れの朝6時サパの地に降り立った。
もし予定通り朝4時に到着していたら、行く当てもなく途方に暮れていた。
2時間の遅延はよく眠れたしむしろ幸運だ。

バスを降りると辺りは深い霧に包まれ、肌寒さが身に染みた。
12月でもハノイの昼間はまだかなり暑かったが、サパの気温はまるで日本の冬に戻ってきたかのようだった。
東南アジアはどこも一年中暑いと思っていたが、サパは中国国境に近く、標高1600mの場所に位置するためかなり冷え込んでいた。
ベトナムには四季があるのだ。

バスを降りた場所から30分ほど歩き、マップで適当に見つけたホステルにたどり着いた。
入口のドアは開いていたがロビーはまだ真っ暗で、従業員は起きていないようだった。
俺たちより先に到着し、真っ暗なロビーでチェックイン待ちをしていたお喋り好きなドイツ人がいた。
話していると、この後一緒にトレッキングをして少数民族の村にホームステイしようということになった。

しばらく待つと、ホステルのオーナーが起きてきた。
チェックインの手続きと同時にその場で当日のツアーを組んでもらった。
荷物を置いてシャワーを浴びると、俺たちは早速山間の村へ出発した。

村に住む女性ガイドに案内してもらってサパの山を2,3時間掛けて歩いた。
サパは棚田が有名で、山を歩きながら青々とした田んぼと山の景色、村の生活などが見れるらしい。
12月は既に収穫が終わっており、棚田は緑色ではなかった。それでも、その景色は十分に美しかった。
田んぼには水牛がいて、時々通りかかる民家では豚や鶏も飼われていた。

歩いていると、近くの村に住んでいるという子供たちが加わり、しばらく一緒に歩いた。
はじめは子供たちは、ただ遊びでついてきているだけだと思っていた。
ホームステイ先の村に近づくと、手編みのブレスレットなどを見せて、買ってほしいとお願いされた。
ハノイからの夜行バスを降りた時も、民族衣装を着たお婆さんがトレッキングツアーの客引きをしていた。農業と観光した産業の無さそうなサパでは、彼らの生活は決して楽ではないのだろうと感じた。
俺とフランス人のEははっきりいらないと答えたが、人の良いMは買ってあげたようだ。

ホームステイ先はガイドの女性の妹の家で、夫と4人の子ども達と暮らしている。
連日のハノイの喧騒から離れ、久しぶりに自然に囲まれて俺は心から安らいだ。
村は静かで、周りには山と田んぼしかない。
こういうシンプルな生活でいいんだよ。とか思ったが多分一週間くらい過ごすとまた街に戻りたくなるんだろう。

夕食は野菜炒め、揚げ春巻き、揚げ豆腐の入ったトマトスープと白ごはん。
ほとんど日本食のようなメニューに俺は驚きと喜びを隠せなかった。
味付けもかなり日本食に近かった。
今までフォーとバインミーばかりだったので、嬉しくて何度もご飯をおかわりさせてもらった。
食後にはお茶も出してくれた。それもまるで日本の緑茶のようだった。

ホームステイ先でのベッドルームはドミトリーだと思っていたが、一人一部屋のダブルベッドだった。
EとMは久しぶりの個室にとても喜んでいた。
明日はまた朝から山を歩き昼頃には街に戻りる。
明後日はインドシナ最高峰の山、ファンシーパンに登ることにした。
夜行バスからそのまま山歩きをしたため、ゆっくり眠れたとはいえ体はかなり疲弊していた。
ベッドに飛び込むと、すぐに眠りに落ちた。

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