ベトナム① – ハノイ旧市街、一週間の生活

旅の記録

時計の針は既に21時を指していた。
本来ならば19時過ぎにはハノイのノイバイ国際空港に降り立っているはずだったが、天候の影響で出発が遅延して関空で2時間待ちぼうけを食らった。
イミグレーションを抜け、空港の外に出て12月の東南アジアの熱帯夜を肌に感じたときには21時半を回っていた。
旧市街行きのバスはまだ走っているだろうか。不安が胸をよぎる。

空港の出口では、案の定タクシードライバー達が待ち構えていた。
「タクスィー?」と2人に声を掛けられたがバスに乗ると伝えると意外にもあっさりと引き下がって拍子抜けしてしまった。
予め調べていた情報によると空港から旧市街までは車で一時間ほど。
タクシーに乗るとそれなりにお金がかかるし、なにより白タクにぼったくられるのが嫌だった。

空港の出口を出て、道を渡り、左に曲がったところに86番のバスがある。どのネット記事に書かれていた通りに進むと簡単に見つけられた。

バスの車窓から眺めるハノイの夜は、まだ異国情緒を強く感じさせるものではなかった。
むしろ心地よい揺れが、俺を眠りの淵へと誘う。
しかし、旧市街に入り、予約していたホステルに最も近いバス停で降りた瞬間、その静寂は打ち破られた。
片側4車線はあるであろう幹線道路。
バスのドアが開いた途端轟音のようなロードノイズと、けたたましいクラクションの音が、俺の鼓膜を破壊した。
車の多さもさることながら、圧倒的なのはスクーターの数だ。
車よりも遥かに多いスクーターがクラクションを鳴らしながら疾走する光景はまさに圧巻だった。

旧市街。ハノイの主要な観光地で、多くの旅行者が滞在する場所。そこは昼夜を問わず人々の熱気と喧騒に満ち溢れていた。

喉が渇いたので近くのコンビニに立ち寄った。
ふとタバコの値段が目に入った。一箱、約50円。
日本での禁煙生活が馬鹿らしく思えた。俺は迷わずタバコを手に取った。

ホステルの屋上。
街の景色を眺めながらたばこを吹かしているときにフランス人のEと出会った。
彼もこのホステルに滞在しているという。
年齢も一つしか違わず、馬の合った俺たちは既に0時を回っていたが街へ繰り出すことにした。
彼は過去3ヶ月間、タイ、カンボジア、ベトナムを旅し、カンボジアからベトナムへは陸路で入国。ホーチミンでスクーターを購入してハノイまで2週間程かけて走ってきたという。
ベトナムの後は日本へ数ヶ月滞在し、その後パリへ帰国する予定だそうだ。

その夜ビア・ハノイを飲みすぎて何を話したか全く覚えていないが、俺たちは意気投合して、翌日からは一緒に観光することにした。
旧市街を散策したり、彼のスクーターで寺院、博物館を巡った。
一番印象に残ったのは民俗博物館で、入場料の安さに反して広大な敷地を誇っていた。
朝から一日かけないと全てを見て回れないくらいだ。
建物の展示は主に少数民族に関するもので、中庭にはレストランがあり休憩もできる。
レストランを抜け奥へと進むと、ベトナムの伝統的な家屋が展示されている。
中に入ることもできて、まるで遺跡巡りをしているかのようだった。
結局その日は全てを見切れずに、警備員に追い立てられて博物館を後にした。

ハノイでの食事は基本的にバインミーとフォーしか食べなかった。
他の料理を知らなかったというのもあるが、なぜか挑戦する気になれなかった。
朝食はバインミーとベトナムコーヒー、昼食はフォーで夕食もフォー。
ほとんどの店でフォーの具材をチキン、豚、牛から選ぶことができたので、それで味に変化をつけていたが、さすがに3日も経つと飽きてきた。
必ず入っているパクチーは元々あまり好きじゃなかった。
はじめは食べる度に抜くようにお願いしていたが、面倒になり食べるようにすると、すぐに慣れた。

ハノイに着いて6日目の朝10時頃、Eから連絡があった。
前日の夜俺たちは旧市街の外れにあるクラブへ行って、早朝6時に帰ってきたばっかりだった。
宿の前に着いたとき、彼は少し酔い冷ましに散歩すると言ってそこで別れた。
あの後ホアンキエム湖でスマホを落として一睡もせずに朝一で新しいのを買いに行っていたらしい。
連絡の内容はもうハノイが嫌になったから北部の山間部にあるサパという街に向かおうという提案だった。
俺もハノイの喧騒に疲れて、静かな田舎へ逃れたいと思っていた。
サパでは、民俗博物館で学んだのと同じベトナムの少数民族が暮らしているらしい。
サパの街から山を歩いて彼らの住む村に向かい、そこでホームステイできるツアーがあるという。
俺たちはすぐにその日の夜行バスを予約してホステルをチェックアウトした。

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